宮座
宮座(みやざ)
「宮座(みやざ)」とは神社の氏子集団が中心となって神事や祭祀を行うもので、中世以来畿内に多く見られました。
八大神社の宮座は古来より存在したと推測され、その伝統が現在まで脈々と受け継がれています。
宮座の構成
八大神社の宮座には、上座(かみざ)・下座(しもざ)があります。
上座・下座それぞれに16名ずつ、合計32名で構成されています。
(現在欠員があり、令和2年時点総勢27名で構成)
宮座の呼称
古参者から順に、次のように呼称されています。
「上座の一番上」「上座の二番上」・・・・「上座の十六番上」
「下座の一番上」「下座の二番上」・・・・「下座の十六番上」
・督殿【こどの】上座の一番上は、督殿と呼称されます。督殿は、宮座の最高責任者です。
・準列【じゅんれつ】上座の二番上は、準列と呼称されます。
・御供師【ごくし】上座の三番上、上座の四番上、は御供師と呼称されます。
八大神社の宮座の歴史
昔、神社創祀には、なんらかの形で祭祀を行う人々があったと思われます。この人々の集まりが「宮座」の始まりであろうと考えられます。八大神社の歴史の中では、
明治六年「藪里牛頭天王社」を合祀
明治七年「舞楽寺八大天王社」を合祀
が行われました。これらの合祀以前は、「藪里牛頭天王社」「舞楽寺八大天王社」それぞれに、八大神社宮座のような集団があったと思われます。これらの合祀以降に統一された宮座ができて、今のようになりました。
現行の宮座は、
大正三年を第一代督殿として令和二年第百六代目督殿
と今日まで引き継がれています。
八大神社の宮座のあらまし
「宮座」という組織は、現在も畿内の多くの神社で伝承されているようです。この中でも、八大神社の宮座は、昔は神社の神事執行のみでなく村の運営にも深く関わっていたと思われます。現在でも、八大神社の神事執行が円滑に行われるための、重要な組織です。
宮座員は、1年間務める期間中に種々の神事を行い、「督殿」「準列」「御供師」はさらに特別な神事を行います。また、上座・下座に分かれてそれぞれ分担を持ちながら30名規模の「宮座員」で継承・運営されている神社は数が少なく、現在では貴重な存在となっています。
今日に至るまでには、昔から引き継がれた伝統を尊重しつつ種々の改革も行われてきました。近年も座員個人が準備していた着物を氏子会側が支給するなど、座員の奉仕の負担を軽減する取り組みが行われています。今後も多くの人に神事への参加を通じて八大神社宮座への理解を深めていただくとともに、神を敬う心と誇りを育みながら後世に歴史と古き良き習慣や制度を伝承・継続していきたいと考えています。
入座・退座
毎年、上座最古参者が責任者の督殿(こどの)を務めた後に退座し、下座の一番下に新たに入座し、宮座全体の人員数は同数が保たれます。
「入座」は、氏子会などの推薦などで進められ、4月下旬に「入座奉告祭(入座式)」が行われます。
督殿を1年間務めて「退座」すると「師匠(ししょう)」と呼称されます。「師匠」は、1年間、宮座の後見を務めます。
宮座には、いわゆる「OB会」に当たる「巴会」という組織もあります。
奉幣太鼓・鉦(ほうへいたいこ・かね)
5月大祭の重要な儀式である奉幣式に於いて、下座座員による太鼓と鉦の奉納が執り行われます。
下座一番上の指示のもと「太鼓長」が、太鼓に合図します。太鼓の打ち手は、「ホーホー」の掛け声を発して右腕を大きく振り上げて太鼓を打ちます。鉦も太鼓に合わせて打ち鳴らされます。掛け声は「サッー、サーエ、ヘーイ」と声をそろえて発しながら鉦が打ち鳴らされます。鉦は三呼間三連打で、鉦の鳴らし手は左手で鉦の吊し紐を支え右手で鉦の撞き目(鹿の角)を持って鉦の縁を叩きます。始めはゆっくりと、だんだん合間を詰めて速くなります。
年中行事
全ての座員が参加する神事
- 歳旦祭1月1日
- 神弓祭4月第1日曜日
- 入座奉告祭(入座式)4月下旬
- 宵宮祭5月4日
- 氏子祭(神幸祭)5月5日
上座座員
注連縄造り、迎春準備、境内下草苅り、お餅つきなどの作業にも奉仕します
御供師以上の座員
ほぼ全ての年中行事の神事に奉仕します