剣鉾

剣鉾(けんほこ)

八大神社の剣鉾は古い歴史と、伝統の技法を今に残している鉾差しによって、5月5日祭礼の神輿の先駆けとして巡行します。古来より途切れず継承されてきたその姿は、京都市内でも数少なく貴重な存在であり、八大神社の大きな名誉とするところです。

左から、「柏鉾」「龍鉾(りょうほこ)」「菊鉾」

比叡山を望む雲母坂(きららざか)での剣鉾差し

新緑の白川通を巡行

以下、八大神社「御鎮座七百年記念誌」 『下御霊神社宮司出雲路敬直氏著「剣鉾考」「剣鉾と祇園祭の鉾」』 より引用・再編

起源と用途

剣鉾の起源は、祇園祭の山鉾と同様、貞観11年(869)神泉苑(しんせんえん)にその当時の国の数66本の鉾を建て疫病退散祈願を行われたとされる「祇園御霊会」創始の鉾に由来しています。すでに平安中期には原始的な剣鉾があったようですが、往事にさかのぼる現品については、確認することは困難です。上杉家伝来の「洛中洛外図屏風」に描かれた室町時代末期の剣鉾が現在も伝わる姿に近いです。

「剣鉾(けんほこ・けんぼこ)」の名は、その形から発生したもので一般名称として用いられています。差すところからの「指鉾」、振るところからの「振鉾」などの名もあります。

剣鉾の本来の用途は、「悪霊を鎮めること」にあります。剣鉾が御霊信仰や天王信仰系統の神社に多いことでもわかります(八大神社は八大天王です)。悪霊を威嚇する威力は形で示されなければなりません。古代の鉾は、実用的な利器というよりも呪術という動作が加わってきます。

上杉本「洛中洛外図」 御霊社剣鉾渡御(1574)

龍鉾の古い錺(かざり)の展示

龍鉾の額の年号文化13年(1816) 裏面には「洛東建仁寺寺町松原上ル 飾師丸屋庄左衛門」の墨書

構成

<剣鉾の基本的な形態>

【剣】【飾】【受金と額】【鈴】【棹】【吹散】の六つの要素から成り立っています。
全体で、重量は30~40kg程、全長は7~8m程になります。

剣鉾と祇園祭の鉾との関係図

<剣>

先端の剣は剣先とも言われ、最も重要な要素です。剣が前後に振られる姿から「まねき」と呼ぶのも、剣が神を招くという霊力を感じている証拠です。
長さ1~2メートル、上部の張り出しの幅30センチにも及ぶ大きな鉾形です。
厚さは根もとで5ミリ前後、先端は1ミリ未満という薄い金属板からできています。上部に薄く下部に厚い、という剣の形態は、圧延ではなく鍛造でなくてはなりません。
金属の材質は銅と亜鉛の比率を「7:3」~「6:4」とした真鍮が標準とされています。この比率は、棹を振ることによって前後にまねかせる(曲がる)条件を満たすためです。

<飾>

飾(かざり)は花とも呼ぶ、受金の両側に大きく張り出した金具で最も目立つ部分です。その意匠によって鉾の名称となっています。動物・植物・形象・伝説など数多くあります。八大神社は「菊」「龍(りょう)」「柏」の3基です。
剣鉾差しの際にバランスを取る為、左右対称の意匠のものが多いですが、当社「龍鉾」のように非対称のものもあります。

<受金・額>

剣を棹に固定するための受金は、額と組み合わされることが多いです。額には神号や神社名が記されます。その周縁には精巧な金工技術が施されています。
受金は剣の茎が額を突き刺してくるために、額と棹の安定をはかろうとして、上に大きく下に小さい形態となります。その形から「州浜(すはま)」や「かぶら」と呼称されます。上に2つ、下に1つ、の丸形の組み合わせの「州浜」紋章からその呼称が由来し、額と受金を一体化して上が大きく下が小さい逆三角形を作って角を丸めた形から、京野菜の蕪を連想し「かぶら」とも呼ばれます。

<鈴>

主に「りん」と呼称され、小さな的鐘形に舌がつき、棹に当てながら舌も音を発するという二重構造になっています。この鈴の音は、金属音を発することによって霊魂を鎮めるという意味を持っています。
剣を、前後にまねかせ、鈴を左右に2回ずつ8の字型に棹に押し当てて音を発するのが最高の技術とされています。
鈴が当たる鈴当の部分を「ナツメ」と呼称します。

<棹>

棹(さお)もしくは長柄(ながえ)と呼称します。剣鉾の原型から考えると、棹は2メートルくらいの太い棒であったのかもしれませんが、差すという動作を加えることによっておよそ5メートル前後になっています。黒漆塗りに螺鈿や金具を施した豪華なものもあります。
材木の種類として「台湾檜(たいわんひのき)」が用いられる事が多いですが、近年は入手が困難となっています。
石突は少々細く、鉾差しは差し革の袋状のところに石突を差し入れます。棹の一番太い中央部分、直径約13センチくらいで、両手で支えて腰の力で剣を振ります。腰に巻く「差し革」も、差し手自らが牛皮や帆布を用いて制作します。

<吹散>

「吹散(ふきちり)」「見送り」「比礼(ひれ)」「旗」などいろいろに呼称されています。棹に下げられた小さな布が長くなり、現在では幅40~50センチ、長さ5メートルにも及ぶようになりました。下の方は軸に巻いて伴の者が両手で支えています。
もとは幟のように垂らしていたので、風によって吹き散らされるところから「吹散」の名称が生まれました。生地は単なる平織りでしたが、豪華な織物を用いるようになりました。特に西陣一帯の剣鉾の吹散にはその町の職人が一世一代の腕の見せ所と競い合って織り上げた名品が現在も残されています。

左から、菊鉾(壱番鉾)、 龍鉾(弐番鉾)、柏鉾(参番鉾)

高い技術が披露され、沿道からの喝采を受けます。 鉾差しは、神紋の描かれた青のハンテンを着装し、足元は素足にワラジを履きます

5月5日大祭巡行の最後、神社境内で夕日を受け差される3基の剣鉾

技術と継承活動

<技法と芸態>

剣鉾を差す人を「鉾差し」と呼称します。

差し方は地域によって異なり、八大神社は「東山系」と分類されます。鉾差しが腰の前に下げた袋(差皮)に棹を差し込み両手で棹を支え、腰を落とし、足のけりあげのリズムに合わせ前に進み、剣状の部分を大きくしならせ、鈴を美しく鳴り響かせるというもので、京都の祭礼で最も多く行われています。鉾差しは、踏み出す足が決まっており、腰の位置を高く保ったまま片足を踏み出し、後ろ足を屈める事で、一瞬だけ腰を落とします。長時間に渡り巡行し差す為、中腰でいる時間が短くて済むよう工夫し洗練された所作といわれます。
その他の差し方として、「嵯峨祭」「平岡八幡宮(梅ケ畑)」「鞍馬火祭」の分類があります。

<技術の継承>

八大神社の剣鉾の巡行は古来から現在まで途切れずに行われておりますが、その高度な技術の継承には常に力が注がれて来ました。その功績が認められ、一乗寺八大神社剣鉾保存会による剣鉾差しは、平成2年より「京都市登録無形民俗文化財」に登録されました。
八大神社では、現在年間を通じ(3~11月)剣鉾差しの稽古(練習会)が行われ、また、5月大祭の前の時期には2週間ほど連日集中稽古がなされ、技術の向上と継承が図られています。その練習会には、八大神社の鉾差しだけでなく、粟田神社、大豊神社、吉田神社、北白川、嵯峨、新日吉神宮、石座神社などの鉾差し仲間が参加し、八大神社剣鉾保存会が中心となり熱心の指導がなされ、技術を習得した差し手が近年続々と誕生しています。また、練習鉾には耐久性能の高い「ステンレス製の剣」を用いる事により、本番用の真鍮製違い金属疲労の心配がなく、繰り返しの稽古が可能となり、その事も技術水準向上に寄与しています。
また、5月の祭礼には子供剣鉾が毎年巡行し、それに向けて小学生の高学年児童の稽古を行う事が、未来の鉾差しの育成活動となっています。

京都市登録無形民俗文化財登録

子供剣鉾の巡行

子供剣鉾の巡行

<認知度向上への取り組み>

一乗寺八大神社剣鉾保存会では、「剣鉾」「鉾差し」という現在進行形の素晴らしい伝統と技法を多くの方々に観て知っていただく為、様々な催しに積極的に出演しています。
京都国体(昭和63年)、京都市主催伝統芸能まつり・民俗文化講演会(複数回)、国民文化祭京都(平成23年)、地元の修学院小学校夏祭り(毎年)、賀茂別雷神社(上賀茂神社)式年遷宮奉祝事業(平成27年)、祇園御霊会1150年記念二条城に於ける剣鉾差し(令和元年)等々。
また、八大神社では平成25年より毎年秋(10月下旬頃~11月下旬頃)に剣鉾を拝殿に展示し、参拝者の皆さんに自由に見学いただいています。

国民文化祭・京都

上賀茂神社式年遷宮奉祝事業

毎年秋の神社拝殿での展示

京都市内の剣鉾と祭礼

現在、京都市内では、50数か所以上に及ぶ剣鉾に由来する祭りが行われ、保管され外部に出ないものを含めると300本程の鉾が調査確認されていることから、広域的に祭礼に使用されてきた事がうかがえます。戦後、地域社会の変貌と共に、剣鉾の差し手の減少等で本来の剣鉾差しが行われなくなり、形態も居祭り(飾るのみ)、荷鉾(にないほこ、棹を切り車等に載せて巡行)などに変化しました。しかし、近年になり粟田神社、大豊神社、吉田神社、北白川天神宮、新日吉神宮、石座神社などの祭礼で剣鉾差しが復活し、今後の盛り上がり、発展が期待できる状況となっています。

春の剣鉾まつり

No祭礼日神社名剣鉾祭りの形態鉾の数所在地
14月29日熊野神社居祭り1左京区聖護院山王町
25月3日神泉苑居祭り3中京区御池通神泉苑東
35月3日清和天皇社居祭り3右京区嵯峨水尾大岩町
45月4日大豊神社鉾差し7左京区鹿ヶ谷宮ノ前町
55月5日に神幸祭,5月
15日に近い日曜日に還幸祭
今宮神社荷鉾で巡行9北区紫野今宮町
65月5日八大神社鉾差し3左京区一乗寺松原町
75月5日藤森神社鉾差し1伏見区深草鳥居埼町
85月5日鷺森神社居祭り3左京区修学院宮脇町
95月5日崇道神社倒して運ぶ2左京区上高野西明寺山町
105月5日天満宮社倒して運ぶ、自動車で巡行3左京区八瀬秋元町
115月5日地主神社居祭り2東山区清水
125月第2日曜日須賀神社鉾差し5左京区聖護院円頓美町
135月第2日曜日新日吉神宮鉾差し7東山区妙法院前側町
145月第2日曜日菅大臣神社居祭り2下京区仏光寺通新町西入菅大臣町
155月第2日曜日山王神社居祭り1東山区清閑寺池田町
165月13日市比売神社荷鉾で巡行、居祭り1下京区市姫通下寺町東入本塩竃町
175月第3日曜日吉田神社氏子講社大祭鉾差し2左京区吉田神楽岡町
185月第3日曜日恵美須神社居祭り6東山区大和大路通四条下る四丁目小松町
195月第3日曜日元祇園梛神社荷鉾で巡行7中京区壬生梛ノ宮町
205月18日御霊神社(上御霊神社)荷鉾で巡行、居祭り13上京区上霊前通烏丸東入上御霊前町
215月第3もしくは第4日曜日下御霊神社鉾差し8中京区寺町通丸太町下る下御霊前町
225月第4日曜日愛宕神社・野々宮社(嵯峨祭)鉾差し5右京区嵯峨野

秋の剣鉾まつり

No.祭礼日神社名剣鉾祭りの形態鉾の数所在地
239月第3日曜日三嶋神社鉾差し2東山区渋谷通東大路東入上馬町
249月秋分の日晴明神社荷鉾で巡行2上京区堀川通一条上る晴明町
259月第4日曜日住吉神社荷鉾で巡行3下京区下松屋町通松原下る藪ノ内町
269月最終日曜日瀧尾神社鉾差し1東山区本町
2710月1日に神幸祭,
10月4日に還幸祭
北野天満宮荷鉾で巡行2上京区馬喰町
28体育の日の前日平岡八幡宮鉾差し4右京区梅ケ畑宮ノ口町
29体育の日粟田神社鉾差し19東山区粟田口鍛冶町
30体育の日五条天神社居祭り2下京区松原通西洞院西入天神前町
3110月第2土曜日に神幸
祭,第2日曜日に還幸祭
山國神社鉾差し3右京区京北鳥居町宮ノ元
3210月第2日曜日北白川天神宮鉾差し3左京区北白川仕伏町
3310月第2日曜日吉田神社今宮社鉾差し5左京区吉田神楽岡町
3410月第2日曜日春日神社鉾差し5右京区西院春日町
3510月10日前後の日曜日長谷八幡宮倒して運ぶ3左京区岩倉長谷町
3610月12日付近の日曜日木嶋座天照御魂神社自動車で巡行4右京区太秦森ケ東町
3710月15日前後の日曜日大森賀茂神社居祭り1北区大森東町
3810月16日前後の日曜日三栖神社居祭り5伏見区横大路下三栖城ノ前町
3910月16日岡崎神社居祭り5左京区岡崎東天王町
4010月第3土曜日に神幸
祭,第3日曜日に還幸祭
熊野神社自動車で巡行1右京区京北上弓削町宮ノ本
4110月第3土曜日に神幸
祭,第3日曜日に還幸祭
八幡宮社鉾差し1右京区京北上中町宮ノ谷
4210月第3日曜日山ノ内山王神社居祭り2右京区山ノ内宮脇町
4310月第3日曜日住吉大伴神社荷鉾で巡行1右京区龍安寺住吉町
4410月第3日曜日福王子神社自動車で巡行6右京区宇多野福王子町
4510月第3日曜日花園今宮神社居祭り3右京区花園伊町
4610月第3日曜日城南宮居祭り3伏見区中島鳥羽離宮町
4710月22日由岐神社鉾差し9左京区鞍馬本町
4810月23日に近い土曜日石座神社鉾差し10左京区岩倉上蔵町
4910月23日前後の日曜日幡枝八幡宮社倒して運ぶ2左京区岩倉幡枝町
5010月24日直前の日曜日八神社自動車で巡行3左京区銀閣寺町
5110月第4日曜日新宮神社居祭り2左京区松ヶ崎林山
5211月3日天道神社荷鉾で巡行5下京区仏光寺通猪熊西入西田町

※「剣鉾差し」と記載のある祭礼においても、全ての剣鉾が差して巡行されるわけでは無く、飾られる鉾や、荷鉾での巡行等の場合があります

春と秋の剣鉾まつり一覧表
情報提供:京都市文化財保護課